日本キリスト教団 千歳教会(ちとせ きょうかい)のホームページにようこそ!
| 日本で最初の教会が建てられたのは、1872年(明治5年)の日本基督横浜海岸教会(今日の日本基督教会横浜海岸教会)です。それから150年余り経った今日では、日本中に数多く教会があります。私たちの日本基督教団千歳教会もその一つです。 教会と言いますと十字架のある建物のことを思われるのではないでしょうか。しかし、教会は、[神様によってイエス・キリストを救い主と信じるように呼び出された人の集まり]です。 聖書の神様は、愛の神様です。愛によって人に命を与えて下さいました。愛によって人の救いの為に御子イエス・キリストが十字架について下さいました。愛によって人の失敗を赦して下さっています。愛によって人に天の国での永遠の命を約束して下さっています。愛によって人生を歩んでいる人を守り、導いて下さっています。 聖書の神様は、日曜日毎に人を教会へ集めて下さいます。人は、礼拝で神様の愛を聴くと嬉しくなります。平安になります。生きる力が出ます。 神様は、あなたを教会へ招いておられます。西武新宿駅より鷺ノ宮駅まで急行で二駅12分、駅北口から徒歩4分の交通至便なところにあります。心よりお待ちしています。 |
| 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。 悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。 柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。 義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。 心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。 平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。 (マタイによる福音書5章3~9節) |
★本日の教会学校(幼児~中学生の礼拝)
2026年4月12日(日) 午前9:45~10:10
☆皆様が安心して礼拝出席出来るようにコロナ対策をしています。
☆親御さまも御子さまとご一緒に出席出来ます。
☆大人も出席出来ます。
☆下記の「★礼拝について」もお読みください。
★本日の日曜日礼拝(基本高校生以上の礼拝)
2026年4月12(日) 午前10:30~11:30
★日曜日礼拝について
☆新しい方の出席を歓迎致します。お待ちしています。(^_^)
☆どなたでもご自由に出席出来ます。
☆高校生以下の方でも出席できます。
☆母子室がありますので小さいお子様連れでも安心です。
☆聖書と讃美歌は、教会にあります。
☆礼拝の中で献金がありますが、する、しない、金額は自由です。
☆基本的に毎月第一日曜日に聖餐礼を致します。
基本的に第一日曜日の礼拝の中で罪の赦しと御国での永遠の祝福の印である主イエスの御体を表すパン🥐と血潮を表ぶどうジュース🍷を頂きます。洗礼を受けておられる方、または幼児洗礼を受けて信仰告白をされた方は何処の教会の方でも頂けます。
●聖 書 新共同訳聖書
◎ 旧約聖書 ゼカリヤ書2章14節(1482頁)
2:14 娘シオンよ、声をあげて喜べ。わたしは来て/あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
◎ 新約聖書 マタイによる福音書28章7~10節(59頁)
28:7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
28:8 婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
28:9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
28:10 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」
●讃美歌 1954年版讃美歌 544 7 153 154
●おとずれ(説教題)「喜べ、恐れるな」
説教者 山本昭夫牧師
◎ はじめに
▲ 先週の礼拝はイースター礼拝でした。2月18日からの40日間のレントの期間を終えて私達は、十字架に死なれた主イエスが復活されたことを記念する礼拝を守りました。
イースター礼拝は、単なる約二千年前の主イエスの復活を記念する礼拝ではありません。主イエスの十字架の死と復活は、神の大きな恵みです。それは、[全ての人が持っている神に対する罪の贖いとその結果による全ての人が地上の人生を終えた後に御国での永遠祝福]だからです。
つまり約二千年前の主イエスの十字架の死と復活の出来事による神の恵みは、時代を超えて全ての人への神の恵みなのです。今日の私達は、この恵みに与っています。私達の次の世代の人達もこの恵みに与ります。人間の地上の歴史が終わるまで(主イエスの再臨)この恵みは、時代を超えて続きます。
▲ 先週のイースター礼拝ではマタイによる福音書28・5~6から聴きました。二人のマリアは、日曜日の早朝主イエスが葬られた墓に行きました。すると天使が現れて「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」と告げました。
「恐れることはない。」は命令形ですから、私訳すると「恐れるな」です。突然天使が現れたのですから婦人達が驚き、恐れるのは当然です。しかし「恐れるな」は、主イエスが降誕される際にルカによる福音書1・30で天使ガブリエルがマリアに言った言葉と同じです。
主イエスの降誕に際して天使は、マリアだけに「恐れるな」と言いました。しかし28・5の「恐れるな」は、二人のマリアに言っていますから少し言葉が変化しています。それだけの違いです。
▲ 二人のマリアが「恐れた」のは確かに突然天使が現れたからですが、それだけではありません。彼女達マリアの本質的な恐れは、神に対する罪を持っていることに因るものです。
罪に由来する恐れを持つ二人のマリアに向かって天使は、主イエスが「復活なさったのだ。」と言います。これを私訳すると主イエスは、「(父なる神によって)復活させられた」です。
十字架に死んだ主イエスが父なる神によって復活させられた。これは人の理性を超えた神の御業です。人には想像も出来ない神の御業です。天使が「恐れるな」と言ったのは、罪故に人には理解出来ない神の御業を拒むな、という意味で言ったのです。
◎ 喜べ、恐れるな
▲ このように言った天使は、二人のマリアに20・7「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。」と言います。彼女達が主イエスの弟子達に告げる内容は、「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」
婦人達は、天使から「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。」と言われたので墓を後にします。
「行って(ポリュオマイ)」は継続の文法の受動態です。つまり婦人達は、神によって弟子達の所へ遣わされるのです。彼女達が主体的能動的に動いたのではありません。神が彼女達を動かしたのです。彼女達が理解出来ない出来事(十字架に死んだ主イエスの復活)を彼女達が主体的能動的に動ける訳がありません。
人は、主イエスの十字架と復活について能動的に動けません。人は、神が人を遣わす(働きかける)ことによって動くのです。教会がエルサレムに誕生する時から主イエスについて人が語るのは、神の働きです。神が人に働きかけて人は、主イエスを語って来ました。それが教会の礼拝の御言葉です。
そしてこ「行って(ポリュオマイ)」が継続の文法であるのは、彼女達が二度と主イエスの墓に戻らないように、即ち弟子達の所へ行くのを止めて、やはり主イエスは墓に居るのではないか、と主イエスの復活を否定することがないようにと天使は言っているのです。
▲ 28・8には次のように記されています。
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
婦人達は、「恐れながらも大いに喜び」墓を後にしました。「恐れながらも大いに喜び」は、婦人達の心が混乱していることを表しています。これを私訳すると「大きな恐れと大きな喜び」です。新共同訳聖書では婦人達は、恐れていたけれども、恐れを上回って大いに喜んでいたように訳されています。しかしこの「大いに」は恐れと喜びの両方を修飾していると考えられます。
既に申し上げましたように「恐れ」は、罪から出て来るものです。創世記3章に神に罪を犯したアダムとエバが神を恐れた、と記されています。
婦人達は、出現した天使を恐れたことよりも神に対する罪を持っており、それ故に天使が告げた主イエスの復活、人間の理性を超越した神の御業を理解することが出来なかったという意味の恐れです。
他方婦人達は、主イエスが復活したという天使のお告げに「大いに喜び」墓を後にしました。天使が言うのだから本当なのかも知れないと思っていたのです。
▲ そのような婦人達に復活の主イエスが現れてくださいました。
28:9 すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
「おはよう」は、私訳すると「あなた方は喜べ(現在命令形)」です。主イエスは、婦人達にそう言われたのです。
この「喜べ」は、ルカによる福音書で天使ガブリエルがマリアに言っています。
1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
この「おめでとう」は、今日の「おはよう」と同じ言葉(カイロー)です。私訳すると「喜べ」です。主イエスは、「大きな恐れと大きな喜び」という相反する2つの気持ちが混在している婦人達に「喜べ」と言われます。即ち主イエスは、十字架に死んだけれども復活したことを喜べ、と現在命令形で言われます。まことに主イエスは、復活したのだ。その神の御業を喜べと言われます。
▲ 主イエスの復活は、主イエスだけの復活ではありません。全ての人の復活です。人は、生まれて人生を歩み始めます。しかしいつかは地上の人生を終えます。しかし人は、地上の人生を死で終えますが御国で復活するのです。御国で永遠に生きるのです。この御国で永遠の命が私達の復活なのです。
主イエスは、私達は、十字架に死なれた主イエスによって[神への罪が贖われ、神に対して罪のない者とされた]。それ故に私達は、主イエスの復活によって[地上の人生を終えた先では御国で永遠の命、永遠の平安]の恵みに与るのです。主イエスの復活は、私達の御国で永遠の命の保証です。御国で永遠の命を担保するものです。
故に主イエスは、人の理性を超えた主イエスの復活が理解できず「大きな恐れ」を持っている婦人達に「あなた方は喜べ」と言われたのです。
▲ 二人のマリアは、主イエスの「あなた方は喜べ」の命令形に応えて「イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」のです。「にひれ伏した(プロスクネオー)継続の文法」は、マタイによる福音書2・1に出てきます。1
2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み(プロスクネオー、継続の文法)、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
占星術の学者達は、お生まれになった主イエスを拝みました。その後主イエスを神の御子救い主メシアとして「ひれ伏した」者はいません。主イエスに癒しを求めてひれ伏した者はいますが。
主イエスを救い主メシア、即ち地上の人生の先で御国での永遠の命を与える救い主メシアとして「ひれ伏した」者は、主イエスの復活後の弟子達です。
28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。28:17 そして、イエスに会い、ひれ伏した(プロスクネオー)。しかし、疑う者もいた。
▲ 時代を超えて全ての人に主イエスは、「あなた方は喜べ」と言われます。その主イエスを救い主メシアとしてひれ伏すために神は、教会をお建てになられました。
教会の礼拝で主イエスは、私達に「あなた方は喜べ」と言われ、私達は、それに応えて主イエスを御国で永遠の命を与えてくださる救い主メシアとしてひれ伏すのです。
◎ むすび
▲ 主イエスは、婦人達に「あなた方は喜べ」と言われた後に28・10で婦人達に「恐れることはない。」と言われました。「恐れることはない。」は現在命令形です。私訳すると「あなた方は恐れるな」です。先ほどの「あなた方は喜べ」が現在命令形であったのに呼応しています。
主イエスは、ひれ伏して主イエスを救い主メシアとして礼拝した婦人達に「あなた方は恐れるな」と言われます。即ち主イエスの復活が分からない者、以前のあなた方に戻るなと言われます。それは、主イエスを救い主メシアである信仰を捨てることです。
▲ 信仰は、教会の礼拝で主イエスが私達に「あなた方は喜べ」と言われた応答として神から与えられるものです。その信仰は、意識的に維持しないと保ち続けることが出来ないものです。
それ故に私達は、教会に繋がり、主イエスの十字架の死に表された私達への神の愛をしっかり凝視してまいりたいと思います。
私達は、神の御子主イエスが十字架に死んでくださった程に神に愛されています。故に私達は、その父なる神、御子主イエスを喜び、感謝して教会に繋がり続けたいと思います。
◎ホームページをご覧くださった皆様へ
▲ 春の暖かい朝です。桜は葉桜になりました。これからは新緑の季節です。今週も復活された主イエスに導かれながら神様の祝福されたひと週でありますようにお祈り申し上げます。⛪⛪
★次週4月19日の予告
☆聖書
旧約聖書 詩編30編13節
新約聖書 マタイによる福音書28章11~15節
☆おとずれ題(説教題)
「復活への沈黙」
☆讃美歌(1954年版)
545番、8番、75番、149番
★過去の説教(おとずれ)
☆過去2回の説教(おとずれ)が載せてあります。
◎4月5日イースター礼拝
●聖書 新共同訳聖書
◎ 旧約聖書 詩編18編47節(849頁)
18:47 主は命の神。わたしの岩をたたえよ。わたしの救いの神をあがめよ。
◎ 新約聖書 マタイによる福音書28章5~7節(59頁)
28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
28:7 それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
●讃美歌 1954年版讃美歌 543 146 148 203 151
●おとずれ(説教題)「主イエスは復活された」
説教者 山本昭夫牧師
◎ はじめに
▲ 今日はイースターです。イースターとは、十字架に死なれた主イエスが復活されたことを記念する日です。教会にとってイースターは、クリスマスに並ぶ重要な記念日です。
十字架に死なれた主イエスが復活された記念日をイースターと呼ぶようになったのは、ゲルマン神話に出て来る[春の女神(エオストレ)]に由来すると言われています。
本日はマタイによる福音書から主イエスが復活された日の様子を見てみたいと思います。
◎ 主イエスは復活された
▲ 本日のマタイによる福音書28・5には次のように記されています。
28:5 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
この「婦人たち」については、28・1に「28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」と記されていますので「マグダラのマリアともう一人のマリア」であることが分かります。
この二人のマリアについては、主イエスが十字架につけられた時に「大勢の婦人たちが遠くから見守っていた」(27・55)、その婦人達の中には「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」(27・56)と記してあります。故に「墓を見に行った」二人のマリアとは「マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア」であると考えられます。
この二人のマリアは、そして主イエスが墓の中に納められたのを見ていました。そして日曜日の早朝に主イエスが収められて墓に行きました。丁寧な葬りをする為です。
私達日本人にとって墓と言いますと墓石があってその下の地下にお骨が収められている墓を思います。しかし主イエスの時代の墓は全く違ったものでした。大きな空洞があってその空洞の中に遺体を置きました。そして空洞の入口に大きな石を置いて蓋にしました。
▲ この二人のマリアが主イエスが収められている墓に行った時に驚くべき出来事が起こりました。「。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。」(28・2)「28:4 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」(28・4)のでした。
その時に「28:5 天使は婦人たちに言った。」のです。私訳すると「天使は、婦人達に語り始めて言った」です。「語り始めて(アポクリオー)言った(レゴー)」の2つの動詞は、継続の文法です。それは今後同じようなことは二度と起こらないことを表しています。
即ち主イエスの十字架は一度限りの出来事であり、主イエスの復活も一度限りの出来事なのです。これからも人間の歴史は続きます。今年は2026年です。100年後も1000年後も主イエスの十字架と復活は二度と起こりません。そして100年後も1000年後も人の歴史は、この主イエスの十字架と復活の出来事の影響を受け続けるのです。人間の歴史は、この出来事によって規定されるのです。
▲ 「語り始めて(アポクリオー)」は、人にとって思いがけない出来事について主イエスが語り始める時に使われる言葉です。
ヨハネによる福音書2・18
2:18 ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。2:19 イエスは答えて(アポクリオー)言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」2:20 それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。2:21イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。
主イエスは、人々にエルサレム神殿を「三日で建て直してみせる」と言われました。誰もが想像出来ないことを言われました。そしてこの主イエスの発言は、主イエスが十字架に死んで3日目に復活することについてエルサレム神殿の関係で言われました。即ち主イエスの十字架の死と復活は、エルサレム神殿に替わるものであると言われたのです。
エルサレム神殿の役目は、神殿に祭司がいて神に対する罪を赦す祭儀を執り行っていました。主イエスの十字架の死と復活は、その神殿に替わる出来事でした。即ち全ての人が持っている神への罪を贖い、赦す為に主イエスは、十字架に死なれて復活なさったのです。
▲ 天使は、この主イエスの復活を婦人達に告げるために神から遣わされたのです。
天使は、「婦人達に語り始めて言った」のです。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが」と。「恐れることはない」は、現在命令形です。私訳すると「恐れるな」です。
婦人達は恐れていました。「28:4 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」のですが、婦人達も天使が現れたことに恐れていました。
天使が「恐れるな(フォベオー)」と言ったのはこれが初めてではありません。主イエスがお生まれるになる際にも天使は、現れて「恐れるな」と命令形で言いました。
①マタイによる福音書
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず(フォベオー、命令形)妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
②ルカによる福音書
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
神の御子主イエスが人の姿でお生まれになる。マタイによる福音書では天使は、ヨセフに「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」と告げました。ルカによる福音書では天使は、乙女マリアに「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」と告げました。主イエスは、乙女マリアが聖霊なる神によって生まれたのです。主イエスの誕生は、神の業でした。
▲ 人は、神に対して罪を持っています。故に神から遣わされた天使を恐れます。主イエスの誕生に際してはヨセフとマリアが恐れました。そして主イエスの復活に際しては二人のマリアが恐れました。
恐れは拒絶を表しています。しかしヨセフや彼女達が本当に恐れ、拒絶したのは、天使ではなく天使が告げるメッセージです。故に主イエスの降誕に際してマリアは、「1:34 マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』」と言って天使のお告げを拒みました。
主イエスの復活に際して二人のマリアが天使を恐れました。天使を拒絶しました。しかし彼女達が本当に拒絶したのは、天使ではなく天使が告げる主イエスの復活の出来事です。
二人のマリアは、単純に主イエスの復活を拒絶したのではありません。二人のマリアが拒絶したのは、[神の御子である主イエスが十字架に死に、その死によって全ての人が持っている神に対する罪を引き受けてくださった。それによって全ての人がもはや神に対する罪を持っていない。そして十字架に死んだ主イエスが復活したことによって全ての人が御国での永遠の命という新しい命を神から頂くことになった。]という神の恵みを拒絶したのです。
▲ 天使は、二人のマリアに「十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、」と言います。私訳すると「あなた方のことを知っている。あなた方は、十字架につけられた(完了形)イエスを捜している(現在形)ことを」です。
「十字架につけられた(完了形)」は、主イエスが十字架で完全に死なれたことを表しています。更にこの完了形は、神の御子主イエスが死ぬことによって[その死によって全ての人が持っている神に対する罪を引き受けてくださった。それによって全ての人がもはや神に対する罪を持っていない。]ことを表しています。天使は、二人のマリアが天使を恐れ、拒絶したその内容について「十字架につけられた」と完了形で言うことによって彼女達の拒絶にも拘わらず主イエスの十字架の死によってもたらさたれ神の恵みを明確な言葉によってではないけれども暗示しているのです。
▲ 天使は、続けて28・6を言います。
28:6 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。
「あの方は、ここにはおられない(現在形)。復活なさったのだ(継続の文法の受動態)。」と天使は、継続の文法の受動態で主イエスの復活を告げます。
主イエスは、父なる神のご計画によってご自分のご意志で全ての人の罪を贖う為に喜んで十字架に死なれました。そして陰府(地獄)へ降られました。それによって陰府にいる全ての人にご自分の十字架の死による罪の贖いの恵みを与えられたのです。
その主イエスは、自力で陰府から上がって復活されたのではありません。父なる神が陰府に降った主イエスを引き上げてくださったのです。
陰府の底迄落ちた主イエスを父なる神が引き上げてくださって復活させられたのです。父なる神は、主イエスだけを陰府から引き上げられたのではありません。主イエスの死によって神に対して罪を赦された全ての人をも陰府から引き上げてくださったのです。
◎むすび
▲ おとずれの初めの部分で「100年後も1000年後も人の歴史は、この主イエスの十字架と復活の出来事の影響を受け続けるのです。人間の歴史は、この出来事によって規定されるのです。」と申し上げました。
主イエスの十字架の死と復活から二千年が経ちました。この主イエスの出来事から二千年の間に夥しい人が地上の人生を終えました。しかし誰一人として陰府(地獄)に落ちた人はいません。今、父なる神の右の座におられる主イエスによって全ての人が御国へ引き上げられるからです。
私達は、この主イエスの復活を喜びます。何故なら私達の地上の人生の先には御国での永遠の命と永遠の平安が約束されているからです。既に地上の人生を終えられた教会の仲間たち、私達の家族が御国へ引き上げられているからです。
4月から新年度が始まりました。私達は、復活の主イエスによって導かれて新年度を歩み出します。希望を持って歩みます。
◎ホームページをご覧くださった皆様へ
▲ 今日はイースターです。昨日の雨が上がり朝から良く晴れて暖かい朝になりました。全ての教会で喜びのイースター礼拝が守られます。墓前礼拝をする教会もあることでしょう。全ての人に主イエス復活の喜びがありますように。4月からの新年度の歩みに神様の祝福がありますように。 ⛪⛪◎旧約聖書
◎3月29日受難週礼拝&荻窪清水教会との交講壇講礼拝
●聖書 新共同訳聖書
◎ 旧約聖書 詩編31編2~6節(861頁)
31:2 主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく/恵みの御業によってわたしを助けてください。
31:3 あなたの耳をわたしに傾け/急いでわたしを救い出してください。砦の岩、城塞となってお救いください。
31:4 あなたはわたしの大岩、わたしの砦。御名にふさわしく、わたしを守り導き
31:5 隠された網に落ちたわたしを引き出してください。あなたはわたしの砦。
31:6 まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。
◎ 新約聖書 ルカによる福音書23章39~47節(158頁)
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」
23:40 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。
23:41 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」
23:42 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。
23:43 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
◆イエスの死
23:44 既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
23:46 イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
23:47 百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。
●讃美歌 1954年版讃美歌 542 5 70 262
●おとずれ(説教題)「十字架への道」
説教者 日本基督教団荻窪清水教会 梅津裕美牧師
◎交換講壇の礼拝でしたのでおとずれ(説教)の掲載はありません。
◎ホームページをご覧くださった皆様へ
▲ 桜が満開です。春を楽しんでおられますでしょうか。今週も神様にまもられますようにお祈り申し上げます。⛪⛪