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〒165-0032 東京都中野区鷺宮3-29-4 

日本キリスト教団 千歳教会(ちとせ きょうかい)のホームページにようこそ!


 日本で最初の教会が建てられたのは、1872年(明治5年)の日本基督横浜海岸教会(今日の日本基督教会横浜海岸教会)です。それから150年余り経った今日では、日本中に数多く教会があります。私たちの日本基督教団千歳教会もその一つです。
 教会と言いますと十字架のある建物のことを思われるのではないでしょうか。しかし、教会は、[神様によってイエス・キリストを救い主と信じるように呼び出された人の集まり]です。
 聖書の神様は、愛の神様です。愛によって人に命を与えて下さいました。愛によって人の救いの為に御子イエス・キリストが十字架について下さいました。愛によって人の失敗を赦して下さっています。愛によって人に天の国での永遠の命を約束して下さっています。愛によって人生を歩んでいる人を守り、導いて下さっています。
 聖書の神様は、日曜日毎に人を教会へ集めて下さいます。人は、礼拝で神様の愛を聴くと嬉しくなります。平安になります。生きる力が出ます。
 神様は、あなたを教会へ招いておられます。西武新宿駅より鷺ノ宮駅まで急行で二駅12分、駅北口から徒歩4分の交通至便なところにあります。心よりお待ちしています。

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイによる福音書5章3~9節)

本日の教会学校(幼児~中学生の礼拝)
2026年1月11日(日) 午前9:45~10:10
☆皆様が安心して礼拝出席出来るようにコロナ対策をしています。
☆親御さまも御子さまとご一緒に出席出来ます。 
☆大人も出席出来ます。
☆下記の「★礼拝について」もお読みください


本日の礼拝(基本高校生以上の礼拝)
2026年1月11日(日) 午前10:30~11:30
★礼拝について
☆新しい方の出席を歓迎致します。お待ちしています。(^_^)
☆どなたでもご自由に出席出来ます。
☆高校生以下の方でも出席できます。
☆聖書と讃美歌は、教会にあります。
☆礼拝の中で献金がありますが、する、しないは自由です。
☆基本的に毎月第一日曜日に聖餐礼を致します。
罪の赦しと御国での永遠の祝福の印である主イエスの御体を表すパン
🥐と血潮を表ぶどうジュース🍷を頂きます。洗礼を受けておられる方、または幼児洗礼を受けて信仰告白をされた方は何処の教会の方でも頂けます。
聖 書 新共同訳書
◎ 旧約聖書 詩編30編4~5節(860頁)
30:4 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ/墓穴に下ることを免れさせ/わたしに命を得させてくださいました。
30:5 主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。
◎ 新約聖書 ルカによる福音書2章15~20節(103頁)
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
讃美歌 1954年版讃美歌  539 30 92 525
とずれ(説教題)「羊飼いの喜び」
説教者 山本昭夫牧師
 はじめに
▲ 

◎ホームページをご覧くださった皆様へ
▲   ⛪⛪

★過去の説教(おとずれ) 
☆過去2回の説教(おとずれ)が載せてあります。

◎1月4日新年礼拝 
聖 書 新共同訳書
◎ 旧約聖書 イザヤ書6章1~3節(1069頁)
6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
6:2 上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
◎ 新約聖書 ルカによる福音書2章13~14節(103頁)
2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
讃美歌 1954年版讃美歌  548 28 111 205 112
とずれ(説教題)「神に栄光、地に平和」
説教者 山本昭夫牧師
 はじめに
▲ 2026年になりました。本日は2026年最初の礼拝です。商店街は昨年12月26日から正月の飾りです。12月25日までクリスマスの飾り付けが一夜にして正月の飾り付けになりました。
 クリスマスは年を跨いで行われます。アドベントから始まったクリスマスは、年明け1月6日まで続きます。何故1月6日迄続くのかと申しますと1月6日は三人の博士たちが生まれた主イエスを拝んだ日である、或いは主イエスがご自身を公に現わされた日であるからです。
 このようなことから12月25日から1月6日までを降誕節としています。今日は1月4日ですから来週11日までをクリスマスの期間としても良いことになります。しかし聖書に書いてないことですので自由に判断して構わないのです。
▲ 先週の年末礼拝では羊飼い達に主の天使が現れた個所から聴きました。                                                            
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
 マリアも天使ガブリエルが現れて「おめでとう」と挨拶した時に「1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」のです。この「戸惑い」は、マリアの恐れを表しています。
 即ちマリアも羊飼い達も主イエスの誕生についての知らせの時に恐れたのです。この恐れは、人が持っている神への罪を表しています。神は、全ての人の創り主です。ですから本来は人は神を喜ぶ筈です。しかし全ての人は、アダムとエバによって神に対して罪ある者になっていますので天使の出現や神の存在を表す栄光を恐れるのです。
▲ しかしマリアも羊飼い達も神を恐れる者から神を喜ぶ者へと変えられて行きます。マリアは、最後には「1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。」と言いました。これは有名なマリアの讃歌(マグニフイカト)です。当初恐れてた羊飼い達は、主の天使が「2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と告げると「『さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。」のであり誕生した主イエスのところへ駆け付けて「神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」のでした。
◎ 神に栄光、地に平和                     ▲ このように羊飼い達は、ベツレヘムへ向かうことになるのですが、その前に本日の箇所に記されていることが起こります。

2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
2:14 「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
 これは神の御国で毎日起こっている様子が記されています。羊飼い達がこの神讃美を見たのか、見ていないのかは不明です。しかし主イエスがお生まれになったことが羊飼い達に知らされました。そしてその後に起こったのが「2:13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。…」という神の御国の様子です。
 「突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。」を私訳すると「突然、この天使に天の軍勢が天使と共に神を讃美して言った、という出来事が生じた」です。
「讃美して言った」の「讃美する」と「言う」は、どちらも現在形の分詞です。「出来事が生じた」は継続の文法です。即ち御国では、神を賛美して言うことが現在も起こっているのです。では何を賛美して言ったのかと申しますと「2:14『いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。』」です。これが毎日神の御国で言われているのです。そしてこのことが「生じた」は継続の文法ですから終末まで御国で「2:14『いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。』」が言われ続けているのです。終末になって主イエスが再臨された時には、「栄光、神にあれ」は残り続けますが、「地には平和、御心に適う人にあれ。」は終わります。
▲ 神の御国で今もこの「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」が言われ続けています。
 この御国で言われ続けていることは御国に留まらないのです。地上の私達人間世界でも言われ始めるのです。
 主イエスがお生まれになった。その主イエスが地上で成し遂げられるのは、私達人間の罪の贖いです。馬小屋で「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」である神の御子主イエスがやがて公生涯を終えられます。
 神の御子の最期は十字架です。主イエスが十字架で死ぬことによって全ての人の罪を赦してくださいます。そして罪の赦しによってもたらされる素晴らしい恵みは、[御国での永遠の命と永遠の平安]です。
 この恵みに応える者を神は、起こされます。神が起こされる舞台は教会です。教会で主イエスの十字架、復活、昇天が語られます。この主イエスによって全ての人に御国での永遠の祝福が約束されます。
 この恵みの祝福を聴いて「主イエスは、私の救い主」と主イエスを信じる信仰を与えられた人は、御国の天使や軍勢と一緒になって「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」と言うのです。教会の礼拝で。或いは自分の生活の中で。
▲ 「讃美して言った」の「讃美する(アイネオー)」を少し見てみたいと思います。この言葉は以下の聖書個所に出て来ます。
①ルカによる福音書
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら(アイネオー)帰って行った。
②使徒言行録
2:46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、2:47 神を賛美していた(アイネオー)ので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。
③ローマの信徒への手紙
15:10 また、/「異邦人よ、主の民と共に喜べ」と言われ、15:11 更に、/「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」と言われています。15:12 また、イザヤはこう言っています。「エッサイの根から芽が現れ、/異邦人を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みをかける。」
 これを見ますと先ず羊飼い達が神を讃美します。続いて使徒言行録でペンテコステの出来事によって主イエスを信じるようになった者達が神を讃美します。そしてパウロの伝道によって主イエスを信じるようになった人達が神を讃美するのです。このように主イエスを信じる者達が広がっている様子が分かります。そして今日の私達も主イエスを信じる者とされ礼拝で神を讃美しています。
▲ 次に「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」を見てみたいと思います。
 地上で神を讃美する人達もこの神の御国の言葉を言うのです。
「いと高きところには栄光、神にあれ」うぃ私訳すると「栄光/最も高いところ(天)/神に」です。動詞がありません。動詞のない言葉は、ガブリエルがマリアに言いました。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」の「主があなたと共におられる。」にも動詞がありません。ですから直訳すると「主、あなたと共に」です。このように動詞のない言葉は簡潔であり、力強さがあります。動詞を付けなくても誰にでも分かる自明なことを表しています。まさか「栄光/最も高いところ/神にないように」と否定する者は誰もいないのです。
 「栄光(ドクサ)」には[輝き]の意味があります。神は、自ら輝きを放っておられます。しかしその神に向かって「栄光/最も高いところ(天)/神に」と言うのは天使であり、天の軍勢であり、そして主イエスを自分の救い主と信じた人達です。
 主イエスを信じた人達は、神を輝かすのです。人は、自分を輝かしたいと思っています。けれども神に感謝し、神を喜んで自分ではなく神を輝かすようになるのです。何故なら主イエスは、十字架に死んで私達に[罪の赦しと御国での永遠の命と永遠の平安]を給わったからです。十字架に死んでくださった主イエスを差し置いて自分を大きくすることは出来ません。
▲ 羊飼い達に天使が言いました。「民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
」と。やがて羊飼い達は、お生まれになった神の御子主イエスのところへ行きます。そして「神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」のです。羊飼い達は、1・47のマリアと同じく「神をあがめ(メガリュオー)」ます。神を大きくし自分を小さくしました。それは、主イエスを礼拝したということです。今日の私達も礼拝で神を大きくします。救い主主イエスを大きくします。自分を小さくします。
▲ 「地には平和、御心に適う人にあれ。」について見てみたいと思います。
 私訳すると「地上の上に平和/全ての人の中に/(神が)喜とするところ(ユードキア)」です。この文にも動詞がありません。動詞を補えば「地上の上に平和(があるように)」となると思います。
 「喜びとする(ユードキア)」の動詞形(ユードケオー)には[喜びとする、意に適う]の意味があります。この動詞は、ユー(良く)+ドケオー(思う)から構成されています。
 神が良く思う人、喜ぶ人とは誰でしょうか。それは、主イエスを救い主と信じる人です。上記したように神を大きくし、自分を小さくする人です。神を礼拝する人です。
▲ その人の中(内)には地上の上の平和があるのです。平和という人間関係があるのです。平和、争い、憎しみ、不平、不満、満足、寛容といった人間関係の中に私達はいます。
 神を大きくし、自分を小さくする者、神を礼拝する人は、相手との人間関係を平和な関係にすることが出来るのです。相手に対しても自分を小さくします。自己主張しません。力による人間関係を作りません。相手を思いやります。お互いに思いやれば悪い感情や力による関係は消えてなくなります。
 現実は難しいです。しかし神を大きくする人、自分を小さくする人は、神に喜ばれる人間関係を知っています。主イエスがお手本を示してくださいました。神の御子が十字架に死んでくださった程に自分を小さくされました。
◎ むすび
▲ 今も、今日も御国では「2:14『いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。』」この言葉が響いています。羊飼い達の時と違い、今は御国へ召された多くの人達がこの言葉を天使達と一緒に言っています。私達の親もその中にいます。地上を生きている私達も礼拝で日常の生活の中でこの言葉を言います。

◎ホームページをご覧くださった皆様へ
▲ 新しい年、2026年が始まりました。新年の歩みに神様のお守りと祝福をお祈り申し上げます。  ⛪⛪ 

◎12月28日年末礼拝
聖 書 新共同訳書
◎ 旧約聖書 イザヤ書43章11節(1131頁)
43:11 わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない。
◎ 新約聖書 ルカによる福音書2章8~12(103頁)
2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
讃美歌 1954年版讃美歌  545 106 107 108
とずれ(説教題)「救い主誕生のお告げ」
説教者 山本昭夫牧師
 はじめに
▲ 先週はクリスマス礼拝でした。久し振りの方も来られて恵まれた礼拝を守ることが出来ました。勿論もっと多くの人がおいでになればもっと喜びに溢れたクリスマス礼拝になっていたのかもしれません。
 然し今の教会の状況を考えると9名でクリスマス礼拝を守ることが出来たことは感謝です。9名の礼拝を守ることが出来たことに神様の祝福に感謝したいと思います。
▲ 今年のクリスマスは11月30日のアドベント礼拝から先週のクリスマス礼拝まで主イエスの誕生について聴いてまいりました。天使ガブリエルがマリアに現れました。

1:28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
1:30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
1:37 神にできないことは何一つない。」
1:38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 主イエスの誕生は、天使ガブリエルによって告げられました。ガブリエルは、マリアが主イエスを産むのは、聖霊なる神の働きであると言います。そして「1:37 神にできないことは何一つない。」と言いました。これは私訳すると「不可能であることはない。神の全ての言葉に関して」です。
 ガブリエルが「可能である」とは言わずに「不可能であることはない。」と言ったのは、マリアが1・34「どうして、そのようなことがありえましょうか。」と言ったからです。
▲ このように主イエスの誕生は、神の働きです。主イエスは、神の御子でありその主イエスが父なる神の御許から降ってこられ一人の人間として誕生することなど神の働き抜きには考えられない事です。正に主イエスの誕生は、神事です。

◎ 救い主誕生のお告げ 
▲ 本日の箇所2・8以下は、羊飼い達に主イエスの誕生が告げられた箇所です。

2:8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
 「その地方」とは、ベツレヘム辺りのことです。羊飼い達は、この後に誕生した主イエスのところへ行くのですからベツレヘムの町からそれ程遠くないところにこの羊飼い達は居たということになります。

2:9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
▲ 2・9を私訳すると「主の天使が彼らの傍らに立った。そして主の栄光が彼らの周囲を照らした。そして彼らは、大きな恐れで恐れさせられ続けた。」
 救い主メシアである主イエスの誕生は、神によって羊飼い達に知らされました。マリアの場合は、マリアが主イエスを産むことになるのも天使ガブリエルによって告げられました。
 主イエスが生まれる前と後で天使によって主イエスの誕生について告げられました。それは、主イエスの誕生に関することが神の業であり人知を超えた出来事であるからです。
▲ 天使が現われて主イエスの誕生に関するお告げに対してマリアと羊飼い達に共通な反応は、「恐れ」です。
羊飼い達は「大きな恐れで恐れさせられ続けた(継続の文法の受動態)」のでした。「恐れ」の動詞と名詞が並列して書かれています。それによって羊飼い達が非常に恐れた様子を表しています。
 この恐れは、羊飼い達が日常では決して体験することはない特別な「恐れ」です。羊飼い達は、ずっと恐れ続ける状況です。
マリアの場合は、マリアが恐れたとは記されていません。「1:29 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」と記されています。
 「戸惑い(ディアタラソー)」は、[非常に大きな心の乱れ、動揺]です。
それは、「恐れ」です。これも羊飼い達と同様に継続の文法の受動態ですから「酷く心を乱され続けた」のです。
 羊飼い達とマリアの恐れは、神に対する罪から由来するものです。それ故に天使が現われ、起こった出来事や言葉に対して恐れ続けたのです。自分の力ではこの恐れを止めることが出来ません。

▲ 恐れ続ける羊飼い達に天使が言った言葉を見て行きます。

恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
 マリアの場合には、ガブリエルがマリアに言います。

マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。1:31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
 羊飼い達への「恐れるな。」とマリアへの「恐れることはない。」は、同じ言葉(フォベオー)の同じ文法「現在命令形」です。違うのは、単数形か複数形かだけです。
 何故天使は、羊飼い達やマリアに恐れるな、と命令形で言ったのでしょうか。それは、羊飼い達やマリアが恐れ続けているかです。この恐れは、羊飼い達が神への罪を持っているからです。マリアも同様です。 
▲ 天使は、羊飼い達に「恐れるな、見よ(イドゥ)」と命令形で言っています。この恐れは、神への罪に因るものです。ということは天使は、「恐れるな、見よ(イドゥ)」と言った後に続く言葉は、羊飼い達の罪を赦す言葉であることになります。
 この「見よ(イドゥ)」は、[物事の転換を表す言葉]です。従って恐れ続ける羊飼い達に天使は、「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と言います。この言葉によって羊飼い達は、恐れる者から喜ぶ者へと転換して行きます。
 マリアの場合にも天使ガブリエルは、マリアに「マリア、恐れることはない。」と言いましたが正確には「マリア、見よ(イドゥ)、恐れることはない。」と言っています。
▲ 恐れる羊飼い達に天使は、恐れる者から喜ぶ者への転換となる言葉を言います。

民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
 「お生まれになった(エテクセー)」は、継続の文法の受動態です。「この方こそ主メシアである。」の「である」は、現在形です。「主メシア」は[神の御子であるメシア]の意味です。
 神の御子主イエスは、父なる神のご計画によって人としてお生まれになりました。「お生まれになった(エテクセー)」が受動態であるのは、父なる神のご計画によって主イエスがお生まれになったことを表しています。
継続の文法の受動態は、主イエスは、父なる神による人の救いのご計画(罪の赦しと御国での永遠の命と永遠の平安)を十字架の死に至ることによって成し遂げられることを表しています。
 「この方こそ主メシアである。」の「である」が現在形であるのは、生まれたかかりの嬰児主イエスは、既に救い主メシアであることを表しています。成人してから救い主メシアになられたのではないのです。故にこの羊飼い達は、この後に嬰児主イエスを拝みに駆け付けます。

◎ むすび
▲ 主イエスは、全ての人の救い主メシアとしてお生まれになりました。天使が「民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」と言ったように羊飼い達にとって主イエスは、喜びです。しかし羊飼い達だけでなく全ての人の救い主メシアである故に主イエスは、喜びです。全ての人に[罪の赦しと御国での永遠の命と永遠の平安]を与えてくださるからです。
▲ 私達は、天使の「あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」を言葉を聴き続けます。それは、十字架の死、復活、昇天の救い主メシアである主イエスについての御言葉を礼拝で聴き続けることです。
 そして私達は喜びます。罪故に神を恐れる者、或いは神に無関心な者から変えられ続けます。主イエスが救い主メシアであることを喜び続けます。主イエスが救い主メシアとして私達に[罪の赦しと御国での永遠の命と永遠の平安]という素晴らしい恵みを与えてくださったことを喜び続けます。そして神を讃美し誉め頌え続けます。
 そのような私達は、2025年の一年間聴き続けました。2026年も聴き続けてまいります。

◎ホームページをご覧くださった皆様へ
  2025年が終わります。2026年も皆様に神様のお守りがありますようお祈り申し上げます。ご健康が守られますように祈ります。不安と悩みの少ない年であるように、喜びが沢山ある年であるようにお祈り申し上げます。⛪⛪